響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

金子鉄心伝説──笛使いは、魔法も使う?

2009-01-14 | ブラスと笛
ふいごまつり

(前回のつづき)
前回はやっと、当初の疑問であった「金子鉄心さんが「操って」いるものは何だろうか」というところへ辿り着いたのであった。私の印象では、金子さんが操っているのは笛にあらず、音楽を操っている。その音楽とはさまざまな異郷をひとつに封じ込めたメルティング・ポットであるという考えが有力である。

では、金子さんと笛とはどのような関係になっているのであろうか? ──この問いにはすでに危険な香りがする。そう、たとえばインディアナ・ジョーンズが魔法の剣に手をかけた時のような効果音が鳴る。平穏な水面下で、殺人鮫ジョーズが近づいてくるテーマ音楽がボリュームをあげてくる……。

ところで話は変わるのだが、笛といえば、かつて目白の椿山荘で能の方に邦楽を教えてもらう体験させていただいた折に、「調子っぱずれ」の解説があった。笛というのは1本1本違うので、笛が2つあったからといって合奏できないのだそうだ。リコーダーとは違うのである。邦楽では一本一本の違いは、いわば放置してある。そこでみんな笛に合わせなければいけない。笛の音を「調子」といい、それにはずれると「調子っぱずれ」だし、万が一笛がヘタだったりするとそれも「調子っぱずれ」ということになる。(というようなことだったと記憶する。邦楽の体験記事はこちら

これは笛について、正鵠を射る話である。笛ほど「調子」や「調子っぱずれ」を感じる楽器もないではないか。坂田明さんなんて、それを重々わかって、わざとやってるサックスのようにきこえてくるではないか。

そこでやおら話は戻るのだけれども、笛は吹いてみなければわからない、使い手ひとつの楽器である。と同時に、どうも笛のほうの都合が大きいというか、笛を「使う」といっても──いや、類い希なる使い手であればあるほど──笛の大いなる意志に導かれるようになるのではないだろうか。そのように使い手を超えたところに、笛の醍醐味が、ダイナミクスが、あるのではないだろうか?

そのような笛の秘儀をかいま見ること、それは鞴座を聴く楽しみのひとつに他ならない。

[CD・鞴座『ふいごまつり』記念──金子鉄心さん特集]
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